To Far Away Times

間接的自己紹介

深呼吸の必要

時間が経てば受け入れられることって、ある。いろんなことが受け入れられなくて、もどかしい気持ちになったり、嫌な気持ちになったりする。追求して傷ついたり、逃げて忘れようとしたりする。

最近自分の中で、あれ、これ意外ともう受け入れられてるぞ、と思うことがある。それはトランクスよりもボクサーパンツの方が、使っている人が多いという事実だ。この事実を知った時、俺は目の前が真っ暗になった。自分はトランクス派で、ずっとマジョリティだと思っていた。根底から覆された事実。事実を知り色を失う瞳。何を信じて生きていけばいいのかわからなくなった。時には夜中に叫びながら近所を疾走したりもした。してないけど。

しかし時間が経てば受け入れられる。ふーん、ボクサー派の方が多いんだね、たしかにね、トランクスってなんかブラブラするものね。フィット感大事だもんね。まあ俺はわずかな自由を感じてたいからボクサーパンツははかないけども。自由を求めた結果がある程度の拘束感であればそれもまた結果の1つなのかもね、と。受け入れられるのである。

しかしこんなことで目を白黒させるわけだから、もっと大きな事実にぶち当たった時、人は果たして受け入れられるのだろうか。時間が解決してくれるのだろうか。事実が大きなものであり、人から人に伝播し、それによってさらに大きなものになり、世代を超えて伝わっていく。こうなると受け入れるというより、受け入れられないスタンスを固持する方向に進んでいく。もうそうなったら、呆れる他ない。一種の憐れみにも似た感情を持つ。あの人、まだトランクスの方が多数派だと思ってるのね、可哀想な人…。

しかし色を失った色というのは何色なんだろう。無色透明か。でも無色透明は色ではない。絵の具に無色透明の色がありますか?ねえだろうが。ねえんだ。無色透明なんて色は。では何色か。俺は白を想像する。なんというか、画用紙に絵の具で絵を描く。そこから色が失われると、残るのは画用紙の白である。だから俺は白を想像する。一方で黒だと言う人がいることもわかる気がする。部屋の電気を消したら、真っ暗。そこには何色も無い。他には何色という人がいるだろう。もしかしたら灰色と言う人もいるかもしれない。赤と言う人はいるだろうか。いないだろうなあ、と思う。しかし赤と言う人がいたら、青と言う人がいたら、頭ごなしに否定はせずになんでそう思うのか知りたいと思う。

これは比喩ではない。