To Far Away Times

間接的自己紹介

自己欺瞞

冬の寒さは人肌が恋しくなるわけだけど、それって、温もりがほしいというか、肌と肌の触れ合いを欲しているということになる。ということはそれって性欲なのか。そういう行為に至らなくても、ただ単純に寄り添って眠りたいというのも性欲なのだろうか。いや、それが性欲かどうかなんてどうでもいいし、当てはめる必要なんて無い。なんにせよいろんなものごとを当て嵌めたくなる性格のようだ。でも、あるがまま生きようとパプワくんの歌でも言っていた。それはそれ、これはこれなのだ。

そんなわけで自分の中に気に入ったシャンプーがあったとする。シャンプー。使い切るくらいになると、次のシャンプーの補充について考え始める。次のシャンプー。自分としては詰め替え用があまり好きではない。なぜ好きではないのか。それはわりと簡単に言語化できる。詰め替えるには、今まで使っていたボトルを洗ってから詰め替えたいのだけど、洗ってしまうと干すまでの時間が必要になる。洗ったあと濡れたままのボトルにすぐに詰め替えてしまうと、色々良くなさそうな気がする。1日乾かしただけで完全に水分はなくなっているのか?疑心が付き纏う。そんな考えに駆られるのがとてもめんどくさい。

一方で洗わずに、中身がとても少なくなった時点で詰め替えてしまうという手もある。これは俺の中では一番気持ち的に負担のない方法だ。しかし、なんとなく、新旧のシャンプーが入り混じることに抵抗がある。だから、洗ってから使いたい。でも、干すのがめんどくさい。すぐに詰め替えたい。こんな堂々巡りをするくらいなら、詰め替え用ではなく、新しいボトルを買った方がいい気がする。

でも、なんといっても、詰め替え用の方が新しいボトルを買うよりも安い。だから結局は詰め替え用を買って、めんどくさい思いをするわけだ。

これだけ詰め替え用が嫌いなのに、安いという理由だけで、結局詰め替え用を買ってしまう。

あとは、これはもしかしたらだけど、世間からの目を気にしているのもあるかもしれない。大袈裟かもしれないけど、同じシャンプーを買うなら詰め替え用を買って然るべきという絶対的な世論があるように思えてしまう。詰め替え用の方が安いじゃん。わざわざ高い方を買うなんて頭がおかしいんじゃないの?

そんなこんなで、本当は同じシャンプーでもまた新しいボトルを買いたいのに、自分を騙して詰め替え用を買ってしまっているのかもしれないと思う昨今いかがお過ごしでしょうか。そんなちっぽけなこと、気にする必要ある?と思われるかもしれないけど、ちっぽけなことを気にする質なのだから仕方がない。

そうやって、小さなことを少しずつ、自分を騙して生きているような気がする。