To Far Away Times

間接的自己紹介

げっかいげつ

水族館がなぜ好きかというと、それは一概に水の中のやつが好きだから、ということになる。普段陸上で生活していると、陸上で生活している生き物しか見る機会はない。だから、普段見ることのない水中を見るのが好きなのである、と思った。しかしそれは建前なのかもしれない。なんなら魚などの生き物がいなくても、海藻がゆらゆらしていたり、泡がぷくぷくしているのを見ているだけで心地よい気分になる。もしかしてこれは、口唇期よりも前に羊水期というものがあって、それが今に影響を与えているのではないか、と思った昨今いかがお過ごしでしょうか。水族館に行きたい。

何かを見にいく時、誰かと行くということは、「誰かと何かを見る」というのが第一の目的になる。つまり、個人的興味(海藻の揺れている様子)よりも面白おかしく楽しむ(うっは!なんやこの魚ぁ!マヌケ面やなあ!がはは!)方を優先してしまうのだ。同じ物事でも、場合によっては楽しみ方が変わってくる。別に区別して自分の振る舞いを決めているわけではない。自然に、自動的にそうなる。それが営みというものなのである。どちらが良いとか好きとか優れているとか、そういうことではない。営みである。

和歌山だか熊本だかで悪い人が逃げて小学校だか中学校だかが臨時休校になった。親は心配や憤りを感じているだろうし、子どもは恐怖や退屈を感じているかもしれない。しかし子どもたちの中には、ラッキー!学校休みだわーい!と思っているものもいるだろう。そんなん不謹慎(?)やん!と言うことは容易いが、そう思う人もいるだろう、という想像力というのは大事な気がする。

クラゲは海月と書く。クロノクロスに海月海というエリアがある。クラゲカイ。それをなぜか俺はゲッカイゲツと読んでしまう。文字にすると月海月となってしまう。初めて文字にして見たが、違和感がすごい。つまり俺の目では海月海と見えているのに、ゲッカイゲツと読んでしまうのだ。理屈というか、正解を知っているのに自分のものにできない。そういう、理屈を超えたものが人を動かしているのかもしれない。

支離滅裂なことを書いたけど、とにかく、「そういう人もいる」と想像できるってことは、ある程度大切だと思うのである。納得できなくてもいい。ここまで下手くそな文章を書き上げてしまったことにため息をつきつつ。露に濡れつつ。梅雨明けはいつか。5日の次は6日。