To Far Away Times

間接的自己紹介

誰かがテレビの中でかかとの話をしていた。テレビの中にはいろんな人がいる。かかとの話をする人だって、もちろんちゃんといるのだ。その人はこんな事を言っていた。「皆さん、かかとの感覚が他の部位よりも鈍感だと思ってらっしゃると思います。つねっても痛くないですしね」俺はそれを聞いて、そうかな?靴の中に小石が入ってかかとに触れたらわりとすぐ気づくよな、と思った。するとテレビの中の人は「でもですね、靴の中に小さな石ころが入ったらどうですか?かかとに少し小石が触れただけでも気づきますよね」と言った。「実はかかとって敏感なんです」うむ。そうだよ、気づく気づく。これは、俺が捻くれた性格をしているから「皆さん◯◯だと思っている」と言われるとすぐにその反例を見つけたくなる、ということを言いたいわけではない。まあそれは実際そうなんだけど、今回はそこじゃない。皆さん◯◯だと思っている、と言う事の危うさみたいなものを感じたのだ。皆さんご存知の通り、とか。思ってないよ、知らないよ、と言う人ってわりといる気がする。周知の事実、世間一般の常識みたいなものならいいんだけどね。皆さんご存知の通り、夏は暑いですよね、みたいな。あ、でもこのワールドワイドなインターネットという大海原では、夏とか知らないしみたいな方々もいらっしゃいますよね。夏ってなんだよ!って言われちゃいますね。夏ってもんがあるんですよ。四季折々、移ろいゆくねえ。でもそのツッコミもコミュニケーション。仲良くやっていきましょうや。あともしくは、そんなのご存知じゃねーよ!というツッコミ待ちのパターンもあるな。みなさん知っての通り、スクイックリンのチャージキープ時間は75Fです、みたいな(参照wiki)。まぁでもそれはそれでツッコミ待ちみたいなところがあるからね。俺はツッコまないけどね。そういうの苦手。場が用意されて、ハイどうぞ、みたいなのはホント苦手。そこで自分をかなぐり捨ててまで乗ることが正しいことなのかな。盛り上がるからやった方がいいことなのかな。話が脱線しすぎてもうよくわかんなくなってきたよ。やっぱ司馬遼太郎はすげえや。話を戻すと、みんな知っての通り、とか、皆さん◯◯と思うと思います、みたいな言い方は危ういと。そういうことです。あとは、そう言われて、実は思わないのにうんうん思う思うってなっちゃうのも危ういよと。