To Far Away Times

間接的自己紹介

決勝 だね

FF7リバース、スタッフロール最後まで見たので、プレイして思ったことなどをつらつら書き連ねた(ネタバレあり)。

ミッドガル出たて

前作から4年弱ぶりの続編ということで、ハードもPS4からPS5に移行した。そのおかげか画面がとてもキレイで(前作もキレイだったけど)、景色を眺める楽しみも増えた。前作はミッドガルの中だけだったので、余計にそう感じたのかもしれない。スクショを撮れる機能もついているので、ちょこちょこ撮りながら進めた。しかしイベントシーンでも止めてカラーフィルターつけて撮れることにかなり後の方に気づいてしまい惜しいことをした。クリア時間は91時間。ちなみに前作は36時間だったらしい。ボリューミィ!

時折関係ない画像を挟んでいく試み。

はしゃぐ女たちを見るクラウド

前作をプレイしたことによって、この一連のリメイクと原作のFF7は全く違うもの、このリメイクは二次創作ものなのだなあと思えたので、今作やってみて大筋のストーリーについては不満はなかったように思う。豚汁とカレーくらい違っていても、まあ具は大方同じだし(ニンジンジャガイモ豚肉玉ねぎ)まあいいかくらいの寛容さを持てたことは、前作のフィーラーに感謝したい。(結局フィーラーも運命の番人なんかじゃなかったのには笑ったけど) ごぼうや大根がカレーに入っていても受け入れられる身体になっている。これが4年寝かせずにすぐにリリースされてプレイしていたらどうなっていたか。俺の中でいろんな気持ちがコトコト煮込まれてほぐされていっていたらしい。

そんなわけで、ストーリー面ではわりと気持ち穏やかに終盤まで進めることができた。終盤までは。最後の方にきて蘇る前作の記憶。前作同様ラストバトル付近でわけわからなくしていくスタイル。なんだこりゃ!終わり悪ければ全て悪しを地で行くのがモットーなワケ?!これ、面白いと思って作ったのかな?熱い展開だぜ!って思いながら作ったのかな?って思いながらプレイしていた。前作ではセフィロスとの一騎打ち(原作のラスト)やっちゃったし、今作ではセーファセフィロスの一個前みたいなやつ(調べたらリバースセフィロス)が出てきた。出てきたなあ。というくらいの感想。まあ、出るかぁ、前作で一騎打ちやっちゃったしなあ、みたいな。リバースだけにということかあ。

加えてザックスサイドの話。夢オチくらい拍子抜けした。これザックスパート全部いらなかったんじゃないか?と思った矢先、クリア後はザックスの話をまるまるカットして再度プレイできるみたいなモードがあって思わず笑ってしまった。重要じゃなかった…ってコト!? とりあえずファンサービスで出してみたけど、特にお話とは関係ないよというノリなのかもしれない。7の骨子とはだいぶ離れたところを広げてるなあと思った。思わせぶりな話がずっと平行線で進んでいったので、さぞ大きなネタバラシがあるんだろうなあなんて期待しちまった俺がバカだった。というかザックスのパートだけプレイできるモードもあったらさらにファンサービスになって良かったのに。リメイクもリバースもとどのつまり元の7とは違う、ただの並行世界の話なんだなということで落着したようだ。世界もリユニオンする!

タークス

良かったところももちろんある。最後のムービー、エアリスがタイニーブロンコを見送るシーン、これディスク交換の画じゃん!ってなって良かった。飛空艇自体は違うやつだったと思うけど。クラウドが最後にバスターソードにくっくっくっ黒マテリアしたのは次回作へのアレなんだろうけど、え!!これどゆこと!?みたいに惹きつけられる結果にはならなかった。さらにこれ、ひょっとして数年後には覚えていないんじゃ…。黒マテリアも俺と一緒にコトコト煮込まれようぜ。

ストーリーとしてグッときたのは、子どもエアリスがお母さんから引き離されるシーン。これキツイな〜ってちょっと涙した。年齢の変化とともに感慨を受けるシーンも変わっていくのだろうか。あとはシドがエアリスの母ちゃんの話するところ。原作にあったかしら?記憶になかったから、こういうの良いなあと思いながら見てた。こういう仲間たちの掛け合いみたいなのは追加して全然良い(追加して良くない事は後述)。でも最後の展開でエアリスがいなくなってみんなが悲しむシーンにシドもしっかり凹んでて、エアリスへの思いやり描写はこの為にあったのかな…と少し打算的な見方をしてしまった。

個人的な一番の盛り上がりは、原作プレイ済としてはやはりカームでのティファの心中が描かれたところ。だいぶ序盤だけども。クラウド、いなかったんだよね…。……!!言えたじゃねえか。今作ではその真相のところまでは進まないので、今は宙ぶらりんな状態だ。宙ぶらりんといえば、シドってあんなに宙ぶらりんな感じでついてきていたっけ、というところ。シドの村にいってイベントがあったような気がするんだけども。(調べてみたらそこはカットされたか後回しになったっぽい)

他に宙ぶらりんといえば、ケットシーとヴィンセントの加入もなかなかの曖昧さ。ケットシー神羅側の人なのでクラウドたちの疑いはMAXだと思うんだけど、ついてくることを良しとしてるのが謎。途中で疑う発言はあったけども。原作でどうだったかは覚えてない。カームでのティファのシーン追加を見ると、原作で書かなかったところを明かしていくのかなと思ったけどそうでもなかったらしい。補完が難しいところは従来のノリを優先する感じか。

ヴィンセントがタイニーブロンコに乗り込んできたのには笑ってしまった。シドが、おいおい1人多いぞォ?俺が追い出してやろうか、みたいなことを言うシーン。シーンとしてはかなり好きなんだけども、いかんせんなんでコイツついてきたん?て思ってしまって笑ってしまった。

イメージ通りのミドガルズオルムの沼

そしてなんといってもこのゲームのかなりの割合を占めているであろう追加されたミニゲームたち。大挙して押し寄せてくる。このほとんどが残念ながらいらない。召喚獣を得るためにやるミニゲーム?で、ボタン暗記してぽちぽちするゲームなんて、やっていても全く面白くなかった。6エリア3カ所ずつで18回。これにゴーサインだしたんですか…?あとは泉みたいなところで△ボタン3回押すやつ。逆にこれはボタン固定でリズムもいつも同じ(調べたらこれは32回)。なぜかめちゃくちゃ違和感があった。この2つはかなり軽いものだけど、コンドルフォート(原作とは違う理由でやることになる)やガンビット組ませてプリンと戦わせたり。イルカに乗ったりカエルになったり。射的をやったり犬っころで玉っころがししたり、ウィリーを正しい駐車位置に戻したり。サボテンダーを撮ったりピアノを弾いたり。チョコボ見つけたり飛んだり。サボテンダー無双したり、タークスのシミュレーションバトルしたり。カードバウトもある。カードとゴールドソーサーにあるもの(上記のものはゴールドソーサーに無い)以外は全部いらなかったのでは…と思ってしまうくらい量がある。ミニゲームはゴールドソーサーだけで十分だよ…。プレイ時間を増やしたいのかどうかわからないけど、ストーリーの合間合間にそういうのがごっそりあるのでなかなかツライものがある。非常にアンバランスな感触だった。かなり胃もたれする。冷えて脂が白く固まったカレーを食べているようだ。ミッドガル脱出時のバイクくらいイベントに組み込まれてる感じだったらよかったなあ。イルカのやつとか、ちょっと無理やり感あった気がする。タイミングよくボタン押せたら上に上がれた原作のやつでよかったですよ。そこにコスト割いちゃったかあ、といった感じ。もしかして、チームのどこかしらの部門(グラフィックあたり)が遅れていて、その時間に他のところがヒマだからミニゲーム作りまくっちゃったとか…?流石にそれはないかあ。

例えばコスモエリアでウェッジの最期を知ることができるけど、これもわけわからないガンビット(FF12のシステム)を使ったミニゲームをやらないとイベントが進まない。俺、FF7でこういうの求めてないんだよなあ、と思いながらやった。でもまあ、世の中ってそんなものですよね。やりたいものだけやれるなんて、そんなこと有り得ないですよ。でも原作7でやりたくなかったことってあったかな…?特に思いつかない。…と思ったら一つ思い出した。ヒュージマテリアの時の時限イベント。これは普通に苦手。めんどくさいとかじゃなくて、もはや恐怖に近い。

ミニゲームの操作面では、アクセルが〇ボタンの時と×ボタンの時があるのもなんとかならなかったのかなあと思った。フィールド上ではクラウドの加速はL3かR2。ちぐはぐだあ。チョコボで飛ぶやつも、LRのスティックが急上昇急降下にあてられてるためカメラが終わっているのも痛い。

犬っころと玉っころ

プレイ時間増大の要因はフィールドの広さにもある。エリアごとにチャドリー氏のポイント稼ぎみたいなのをすると達成度みたいなものが上がっていく。個人的にはフィールドを歩き回るのは好きな方だからこういうのを埋めるのはどんとこいなのだけど、全部にチャドリー氏が関わっているのが癪に障る。「クラウドさんクラウドさん!あ、クラウドさんは召喚マテリア持ってませんでしたねw」毎回言われて真顔。そういえば宝条にみつかってピンチになったチャドリー氏の顛末知らないや。もう最後は食傷気味でクエストやってないのかも。

あと源氏クエスト、結局最後までやってないという体たらく。だって疲れちゃったんだもの。もっとゆっくりプレイすれば良かったのかなあ。これ意外と大事かも。

歓喜クラウド

惜しいところは、なんといってもドン・コルネオだ。前作では道化と見せかけてわる~い演技がとても良かったのだけど、今作ではほとんど道化のままだったのが残念。コルネオのSSが無いのがさらに残念。

サブキャラ関連でいくと、キリエちゃんはなかなかの寒さを纏っていた。せっかく可愛いのに。最後なんの成長もなく初代エンジェルに連行されていって、残念な気持ちになった。ザックスにクラウドを押し付けられたあたりがピーク。

対してジョニーは成長した感がある。部品集めはアレだったけども…。クラフトで部品作成するところで、クラフトの画面で制作個数1/4とあったから4つ作るものなんだ!と思って一気に作った結果、イベントで必要なのは1個だけで涙目。単純に、手持ちの素材でつくれるのは4つですよという意味だったってオチ。はやとちりは良くないですね。

ホーホーホウ

戦闘関連だと、属性攻撃をマテリアだけではなくキャラのアビリティとして楽に使えるようになったのが良かった。前作では敵の弱点属性のマテリアを装備してないとかなりだるい戦いになることが多かったのだけど、今作はそれが改善されていた。

戦闘での各キャラには個性があって良かった。自分はだいたいクラウドバレットユフィを主に使っていた。ド安定すぎる。

漢バレットのぶっぱなすを撃ちたくてしょうがない。最初のぶっぱなすでだいたいATB一本溜まるから、みやぶる要員にしてた。あと、前作にあった近接武器がなくなって良かった。そこら辺の役割はレッドに移ったのかな。

ユフィは属性忍術びしゃびしゃやって、やぶからぼう撃って小物のザコたちに気持ちよくなってた。あとぶんどる要員に。ユフィといえばぬすむ!ということで、キャラに合わせたくなる性分なのだ。

エアリスは通常攻撃強化の陣を覚えてからわりと使えるようになった印象。最初からATBが溜まってるマテリアを装備させてまず陣を展開させられるようになってからさらに楽しくなった。

クラウドはブレイブモードの◻︎長押しで重そうな攻撃できるのに気づいたのが中盤以降だった記憶。3回重い攻撃できる技覚えたあたり。チュートリアル、ちゃんと読みましょうね…。基本的にバーストスラッシュとブレイバーばかり使っていた。カウンター主体のスキルはうまいこと使えなかった。全滅したあとのクラウド君のセリフが面白い。覚えてないけど…。

クラウドのカウンターと同じような理由でなかなかレッドもうまく使えなかったのが残念。もすこしちゃんと理解してやれば良かった…。原作初プレイの時はめちゃくちゃ使ってたのにごめんよ。

ケットシーはそこはかとなく強そうな予感がしたんだけど(モーグリに乗ってるとき)、個人的にキャラに魅力を感じないのと、バレットユフィが使いやすすぎて変えなかった。

ティファは前作から引き続いて使いやすくてわりと出していた。小気味良い感触が好き。ただバースト中の時間をなかなか活かすことが難しくて、%をあげるやつやった後モタモタしてしまっていた。

こう考えると、俺ゲーム下手なんだなあと思う。次回作は2人増えるだろうし、戦闘中に入れ替えたりできたら楽しそう。バフ撒いて離脱とか、攻撃しながら入ってきたりとか。

じゃーん

連携アクションと連携アビリティについて。今になってみればわかるんだけど、ずいぶん名前がごっちゃになった。アホか俺は。連携アビリティの方は個々の技を使っていくと仲間と合体技が撃てるようになるってやつなんだけど、これが下準備に時間がかかる気がして狙ってやるというのに随分腰が重かった。PTメンバー一人一人のアビリティだけでやることいっぱいいっぱいになっちゃって、さてそれじゃあ連携アビリティ使えるようにしたぞ!というところまで落ち着いて戦闘ができなかった。お、使えるようになってる、使ったらァ!って感じで、ノリで発動させていた。ほんと、下手っぴだねぇ。連携アクションについてもあんまり習熟しないまま最後まで行ってしまった。連携アクションの方はガンガン使っていけるので、これは単純に損したなあという気分。

ルーファウスけっこう好き。瞳が綺麗。

メニュー周りについて。前作と違ってアイテムや魔法をメニュー内で使えるようになったため、回復がだいぶ楽になった。まぁでもそれが普通だと思うんですけど…。もしかして前作でもできました…?なんか書いてるうちに自分のゲームの下手さが浮き彫りになってきている気がする。

UPGRADE WEAPONSの項目、これがなんのために存在するのが最後までわからなかった。MATERIA & EQUIPMENTと一緒にしちゃえばよかったのになあと思った。あれ、ひょっとして、武器にハメるパワーアップのやつをつけるっていうのがアップグレードってことなのかな。でもそれも結局マテリアの画面でできちゃうし…。なにかの名残りなのかもしれない。

スキルツリーでパワーアップしていくやつは、なんでメニュー内でできない仕様にしたのか謎。なにかの処理の関係なのかな。全体的にスキルもマテリアもかなりテキトーにやっていたので、そんなに不便さは感じなかったけれども。

二人

そういえばデート。初めエアリスとデートして、2回目はティファだった。2回もあるんだっけ!?ってなった。物語終盤、エアリスに好きって言われた時、ティファとキッスをしたクラウドくんは非常に気まずそうな表情をしていたように見えた。つーかティファ健気すぎんよ!なんで?!でも、なんで?!って思わせることこそが健気ってことなのかも。

二人その②

歌について。ゴールドソーサーで何故かエアリスが歌うんだけれども、イベント中はなんかあんまりピンとこなかった。クリア後にちょっと経って、YouTubeだかで思いがけず聴くことになった時、なんじゃあこりゃ良い曲だなあと思った。なんでかなあ。なんでピンとこなかったのか。エアリスが歌ったからかな。なんというか、登場人物が歌うんじゃなくて、どこかしらのエアリスの大きな山場で流す感じでよかったんじゃないだろうか(どこと言われると特に思いつかないけれど)、と思った。あとスタッフロール中。FF10で素敵だねが流れる時、ユウナんは歌ってなかったですよね。そもそも声も違うし。エアリスの声じゃないんだもん。だからピンとこなかったのかも。そういう、歌だけ声が違う演出ってわりに見るけども、自分はあんまり好きじゃない。口パクで歌つけてる感じに見えちゃう。FF10-2の歌はうまいこと理由づけできてた気はする。人選のことはさて置いて。インターナショナル版の歌はけっこう好き。

 

というわけで書き続けていたら収集がつかなくなったのでこの辺にいたしましょうか。総括みたいなことはしない(できない)。

オニドリルコイルレアコイルの部分が好き

チキン南蛮チキン南蛮みたいな歌流行ったらしいんだけど、全然わからない。わからないというのは、理解できないという意味ではなくて、知らないという意味だ。そういう歌がこの世に存在して、さらに民衆に広く受け止められていることを知らない。うっせぇわみたいなやつのときもわからなくて、最近の流行りの歌はわかんねぇなあって思ってたんだけれども、そもそも流行りの歌なんて大昔の子どもの頃からほとんどわかってなかったことに思い当たった。その頃俺は、FF6とかもののけ姫とかのサントラをカセットに録音して聴いていた。FF6妖星乱舞は入ったが、その後のエンディングの曲『蘇る緑』が長すぎて途中で録音が終わってしまったことを今思い出した。悲しかったなあ。流行りに疎かった俺は(今も疎いけれど)、当時友達を呼び出して、小声で「…MDってなに?」と聞いたこともある。流行っている音楽はわからないけれど、俺にも好きな音楽はある。

例えば俺はthe pillowsが好きだ。GOMES THE HITMANも好きだし、キンモクセイ音速ラインも好きである。好きになったものはとことん好きになるのか、とにかく繰り返し聴く。しかし広がっていかない。したがって、the pillowsは好きだけれども、全曲を網羅して知っているわけではない。ピロウズについてはたぶん知らない曲の方が少ないと思うけれど、音速ラインとかキンモクセイについては数曲くらいしか知らない。知らない曲の方が多い。でも好きだ。そういう、少ししか知らないけれど好き、というのはある。

好きになってくるとその役者の出ている映画を片っ端から観るというのを昔やっていた。アンハサウェイ、ナタリーポートマン、エレンペイジ(今はエリオットペイジだ)、蒼井優妻夫木聡。でももちろん、全部を観たわけじゃない。この、好きだからいっぱい聴いたり観たりすることって、多かれ少なかれあると思う。このメーカーのゲームが好きだからいくつかやる、このメーカーの化粧品が好きだからそろえてみる。いろんなことがそうだ。でも、誰もそんなこと言ってないかもしれないけれど、「詳しくないと好きって言っちゃダメ」というような強迫観念みたいなものを感じることがある。本当に誰にも言われたこともないのに。たぶん、というか絶対、好きって言っていい。だって留保無しに好きなんだから。

こう書いていて思い当たったんだけど、たぶん苦しめているのは昔の俺なのかもしれない。好きな役者が出ている映画は片っ端から観た。好きな作家の本は小説もエッセイも全部読んだ。好きな漫画家のマンガは連載の単行本から短編集まで全部集めた。それで、自信を持って好きと言っていた。そういう昔の俺が、お前、それだけしか知らないのに好きと言っていいのか?と問いかけるのかもしれない。そんな俺は今、発売したばかりの、プレイしたことすらない、なんなら前情報もほとんど知らない、ユニコーンオーバーロードというゲームが好きだ。やったこともないのに。気になっているとか楽しみとかいうレベルではない。好きだ。
好きな子の、彼氏彼女の、夫の妻の、全部知らないといけないのか。絶対そんなことないもんね。

7.boring

自分を端的に一文で表すなら、付き合うと途端につまらなくなる男、というのがかなり端的で適切な気がする昨今。特に最近誰かと付き合って別れてみたいなことはないし、多分誰かに指摘されたこともない…と思う。もしかしたら遠い昔に、あんたって付き合った途端につまらなくなるね、なんて言われたのかもしれないけど。そういった記憶はない。寒くなってきました。

2024年は月に一度は更新しようと思った昨年末から気づけばもう2月である。光陰矢の如しとは上手いこと言ったものだが、初めて言った人は誰だろう。けっこう昔の人だと推察するんだけども、まさかその言葉がこんなに使われるだなんて思ってなかっただろうな。それとも当時流行語大賞かなんかにノミネートされて、その流れで今に至っているのだろうか。当時のギャルたちがマジ如し〜とか言ってたのかな。ギャルなんてその時言わなかったでしょうと思うかもしれないが、なんと今だってギャルなんて言わない。今は…なんていうのかしら。

せっかくだから調べてみたけれど、唐という国で使われていた言葉らしい。光陰如箭。当時の詩人、李益というキャラがしたためたとかなんとか。いろんな由来の例に漏れず諸説ありらしいけれど。李益くんはかなりの才覚の持ち主であったが、嫉妬深い性格であったとインターネットに書いてあった。出典であるという游子吟は見つからなかった。しかしすごい頭脳の持ち主であるということと同時に、嫉妬深い性格ということまで伝えられているとはなんとも言えない気持ちになってくる。どういうことで嫉妬深かったのか。出世街道まっしぐらであった彼は、ライバルが多かったのか。想像だけして放り投げるのは楽だ。

思い立ったが吉日

男女関係という言葉すら今はあってはならない言葉な気がする。個人的には普通に使用できるし、別に特段気にもならない。しかしもう、今は男だの女だのと性別の名詞を出すだけでもかなり慎重にならなくてはいけなくなっている気がする。慎重にならなくてはならない、と思っている以上、俺も旧時代の人間なのだろう。

しかし今はそういう、性別的なものはどのくらい細分化されているのだろう。チャートを書いてみたい。まず、産まれた時に卵巣を持っているか、精巣をもっているか。ここでは便宜的に、産まれた時に卵巣を持っていた人をカアニとし、産まれた時に精巣を持っていた人をエテケとする。カアニが成長して、性欲を抱く対象が同じカアニなのか、エテケかわかれる。カアニの性の対象がカアニの人を、便宜的にルゼブとする。カアニの性の対象がエテケの場合はヒチヌとする。同様に、エテケの場合も。エテケの性の対象がカアニの場合をヘチとし、エテケの性の対象が同じエテケの場合をロノユとする。すると、この世にはルゼブ、ヒチヌ、ヘチ、ロノユの4つに分けられる。そして、エテケの体になりたいルゼブ、とくに体はこのままでいいルゼブにも分かれそうだ。前者をワガユ、後者をデチマとする。同様に、カアニの体になりたいロノユも2つに分けられる。カアニの体になりたいロノユをニマヤオ、とくに体はカアニのままでいいロノユをキィナとする。そうなると、ワガユ、デチマ、ヒチヌ、ヘチ、ニマヤオ、キィナの6つに分けられる。

もっと細分化していくこともできるだろう。ここまで書いてきて頭がおかしくなりそうだ。しかし頭がおかしくなりそうだとは何事だと憤慨する人もいるかもしれない。大事な問題なんだ。デチマはどのトイレに行ったら良いんだ?ニマヤオはどの温泉に入ったらいいんだ?そうじゃない。トイレも温泉も、全部1種類にしたら丸くおさまるんじゃないか。恥ずかしい、嫌だというヒチヌもいるかもしれない。その嫌だと思う気持ちこそ、根源である。もう人類全員、トイレも風呂も家で1人で入れクソが。

哀愁というのか(いや違う)

30代は、なんというか惰性のままに終わってしまった。ような気がする。まだ30代は数年残っているが、そんな気がする。楽しいことは沢山あったし、人を悲しませてしまったことも一度や二度ならず、ある。しかし、なんというか、あくまでも個人的なことを言えば、惰性そのものだった。全ては20代の内に終わってしまったように思う。これからだ、と言う人もいるだろう。実際にそうかもしれない。ただ俺からみた俺に関してだけ言うなら、もはややることが見つからない。やり遂げてしまったあとの燃え尽き症候群、というのではなく、むしろ逆の、なにも成し遂げられなかった挫折感みたいなものである。かといって、俺がここから奮起して、何らかの幸せを見つけたとして、それでいいのかとも思う。俺だけが自由に、気ままに生きていいのかと思う。そんな自責の念に対してなにかしているかと言えば、なにもしていない。ただ怠けて、惰性のままに日々を過ごしているだけだ。毎日の些細な憤りに愚痴るだけの毎日。何が正解なのか、たぶん教えてくれる人はいない。自分が納得出来る道だけが正解なのだ。死ぬのは逃げるのと同じだ。この場合の死ぬというのは、自殺のことだ。

誰かが笑ってくれるのが救いだ。それに依存したり、そうしようと努めているわけではない。というか、笑ってくれるというより、字面的には微笑んでくれる、という表現の方が近いかもしれない。そういう時はわりと心が軽くなる。

もともと目標なんてなかったし、流されるままに生きてきた。きっとこれからもそうだろう。

高校卒業の時、俺は浪人が決まっていた。一浪ってやつだ。学校の駐輪場から友達と帰る時、俺は冗談でこういった。来年も落ちたら、拙者は流浪人、また流れるでござる…なんて言ったりして…。みんなは笑った。俺も笑った。その時は、ただの冗談だった。しかしそれは現実になった。二浪。でも俺は言わなかった。言えなかった。それを言う友達は皆、新生活を歩んでいた。しかも多くは2年目の。そんなこと言われたら困るに違いない。でも、もしかしたら言ったかもしれない。たまにあった友達に。その時の俺の顔は、きっと引きつっていたことだろう。友達の顔も引きつっていたかもしれない。すまない。そしてありがとう。

ジジイ

腰の曲がったジジイが前をゆっくり歩いている。背は丸まり、歩幅は狭い。ほどなくして動く歩道に差し掛かる。動く歩道では、歩かない人々は左に、歩く人は右側を行くのが暗黙の了解だ。地域によって異なるらしいが。俺は当然のように、ジジイは左に寄って立ち止まるだろうから、右側から追い抜こうと考えていた。しかしジジイは右側を行った。俺は思った。ジジイ、その道を行くのか…、ついて行くぜ。わりに長い動く歩道。ジジイは我が道を行く。ドラクエでは防御力の低い魔法使いは後ろに据えていた方が良いが、俺はこの時、背後にも敵からの攻撃を防ぐために戦士や武闘家を配置するべきだと思った。バックアタックはなんとしても防がねばならない。ゲームと現実は違うのだ。奇襲にあったらこのジジイはひとたまりもないだろう。俺は備えた。ジジイの背後は俺が守る。ジジイから離れずに周囲の気配を探る。幸い動く歩道の終点まで敵の攻撃は無かった。動く歩道を降りた俺は、そそくさとジジイを追い抜いて家路についた。

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世界で一番初めに嘘をついた人は誰だろうか。こんにちは。過去に自分が書いた記事を読み直してみると、書かないことに対する言い訳が多すぎる。さすがに自分ですら食傷気味なので止めよう。

書こうとする段となると、これは以前書いたことだっけか、同じことを書いていたらどうしようという心持ちになることが多々ある。同じことをぐるぐるぐるぐる考えているので、それをアウトプットしたかどうかを覚えていないとそんな風になってしまうのだ。まあでも同じことを書いてもいいじゃないかと最近は思うようになってきた。また、同じことに対して逆の意見をいけしゃあしゃあと書いててもいいじゃないか。歯止めの聞かない老朽化する頭ここにありという感じなのもまた哀愁が漂っていいてオツなのではないか。無論、誰に読ませるでもない(でもホントはちょっぴり読んでほしい)自身の思考の捌け口であるので、そもそもそんなことを考える必要もないのだが。

なにはともあれ世界で一番初めに嘘をついた人を探すのであれば、会話の起源について知らなくてはならない。会話というよりもコミュニケーションと捉えたほうが良いか。言語の起源について少し検索にかけてみると、Wikipediaだけでもなかなか読み応えのあるものが出てきたので、ここは一旦横に置いておくことにしよう。読むのが面倒くさい。だいたい事実なんてものはどうでもいいのだ。初めに嘘をついた人の嘘を想像するのが楽しいのだ。やはり旧石器時代とか、そこらへんのことになるだろう。だいたい。狩りに出かけた若者が言う。俺、こないだマンモス3頭やったぜ。彼は村一番の勇者だ。群れを成すマンモスに(マンモスが群れを成すのかは知らないが)果敢に1人で挑み、見事勝利した。彼は皆から尊敬され、もちろん女からもモテた。そうなるとやはり生まれるのは妬みである。嫉妬。そこで別の若者(村一番の彼には劣るがかなり優れている)がある時言ってしまう。お、俺、こないだ5頭やったよ。マンモス。周りは驚く。あの村一番の彼よりもすごい人がいたなんて!もちろん周りの人々は、嘘だァ~なんて思うことはない。何故ならこの世に嘘なんてものは存在しなかったからだ。つまり、嘘は嫉妬から生まれたものだったのだ。でも実はそれは世界初の嘘ではなかった。村のルールで、マンモスを狩ったあと、村では肉の配給が行われる。マンモスを3頭を屠ってみせたあの若者が生まれるよりもずっと前からのルールである。昔むかしそのルールができた頃、肉を解体する役は力のある壮年の男性がその任を負った。全員に均等に肉を配る。しかしあろうことかその男性は、自分の分の肉を少し多めに取っていたのだ。ある時、食べ盛りの青年が言った。これっぽっちの肉じゃあ足りねえよ!青年より1つ年上の女(腐れ縁)が言う。なに言ってるのよ!みんな平等に配られてるんだから、文句言っちゃだめよ!ねえおじさん?解体役の男性は言う。お、おう。これが世界初の嘘である。