天気図と時計
止まない雨はないとか、明けない夜はないとか、慣用句的に使われることがある。しばしば。挫折や苦悩、虚無や悲哀の最中にいる人に対して。でも往々にして、その渦中にいる時には天気図や時計を持っていないものだ。そこで物を言うのは、自身の経験以外にない。だから年若いほど闇が深く長く続くように感じる。といっても歳をとったからといってそれに晴れ間や夜明けを感じ取れるかというと、そういうわけでもない。一旦闇に包まれてしまうと、大きな混乱が襲ってくる。ただし、事前に闇を感じ取って回避することはできるようになってくる。気がする。
ただの言葉遊びだ。
スパンコール
音楽はとても個人的なものだと思う。広く知られたJ-POPであったり、昔からある有名な歌だったりクラシックだったり。やったゲームの主題歌だったり、映画のエンドロールに流れる歌だったり、「世界の車窓から」で流れている曲だったり。なんというか、そこには個人的な思い出が染みている。ある歌を聴けばその時の匂いや、風が頬を撫でる感じを思い出す。風景や気温。逆に匂いをかいでその曲を思い出したりもする。誰もが知っているあの歌にも、自分にしかない思い出が書き加えられる。高校の通学路、受験勉強、ドライブ。小学校の頃、教科書を忘れた時に隣の人に見せてもらったり、別のクラスの人に借してもらったりした時、同じ教科書なのによそよそしさを感じた。変な風に折れたページも、ささやかな落書きも無い。みんな持っているのに、自分だけの教科書。勉強なんて全然好きじゃないのに、忘れたことが悔しかった。俺は置き勉を覚えた。
銭湯
仕事に向かう時、よくすれ違う人がいる。あんまり詳しくないけど、その人がダウン症だってことはなんとなくわかる。彼女がどこから来てどこへ向かうのかは全くわからないけれど、とにかく彼女は一人でどこかを目指して歩いている。たぶん成人している。何度もすれ違う間に気づいたことだけど、彼女の服装はいつもどこか明るい。パステルな色の物をどこかに身につけている。全身がそうというわけではなくて、上着であったり逆に中のシャツであったり。どこか明るい。心が華やぐようだ。元気が出る。その人とすれ違ってから前を向くと、とても世界が陰鬱に見える。前にいる人たちはみんな一様な服を着ているように見える。黒、茶、紺、カーキ。暗く沈んだ世界に見える。
トースターを買った。当初からオーブンレンジにトースター的機能は備わっているわけだけど、どうにもうまいこといかない。食パンを食べたい俺はついにトースターに手を出した。6000円。素晴らしい。カリッカリ。この世の景色がまたひとつ変わった。バターを塗り、その上にジャムを塗る。豆を挽き、コーヒーをいれる。素晴らしい朝。うまい。しかしこのご時世、バターは塗らなくてもいいかもしれない。昭和じゃないんだから。パン自体にしっかり甘みがある。ジャムやバターは普通のサイズだと持て余すので、なるべく小さいものを選ぶ。アプリコットジャムと、オレンジはちみつ。それぞれ100円くらい。ゆっくりパンを食べ、コーヒーを飲む。そうしているうちに、普段食べない朝ごはんをゆっくり食べているうちに、家を出ないといけない時間になる。普段よりも家を出る時間が遅くなる。ゴミを捨て忘れる。今日はゴミの日だった。左胸に違和感がある。ストレスなのか、血管が詰まっているのかわからない。食生活は改めた。冠動脈のカテーテル処置を5ヶ月前にした。コーラも飲んでない。ポテチもグミも食べていない。甘いものや脂っこいものを避け、魚を増やした。体重は減り、中性脂肪も1300から150まで下げた。通常の値までもうすぐだ。心臓とかそういうのは父親からの遺伝だ。親父は晩年、ナッツを食べ、魚を積極的に摂っていた。脂ものはほとんど食べていなかったような気がする。意識せずとも似たような食生活になっている。
ツイートかよ
こんな深夜、都会でもないのに空が明るい。薄めたお汁粉みたいな色をしている。曇りの日は近くの工場の明かりがぼんやりと広がって見える。
空が明るいなあ。
そう思った23時半。
気まぐれ浪漫飛行
アオのハコで千夏ちゃんが夏祭りで、これが高校生最後の花火かあと感慨深げに言っていた。これって、わりとすごいことのように俺は感じる。その時にそれが最後であるとはっきりと自覚して、それを受け止められるのってすごいと思う。自分にはできない。そういうところでロマンチックになれるのって羨ましい。例えば中学だの高校だの、思春期真っ只中の卒業式とかなんの感慨も覚えなかったし、なんなら泣いている人見て、え、なんで??とさえ思った。でもこれって、俺が卒業式というか学校全体を特になんとも思っていなかったからなんだろうなとも思う。友達とは学校が離ればなれになるにせよ(中→高も高→大も進学先が同じ人はいなかった)、特に会えなくなるわけでもないし、携帯もあるし、学校が終わったからって切れる仲でもないと思っていたからなのかもしれない。実際に卒業後もよく遊んだし、今も遊んでいる。だからか、いっとき友達と会えない時期があったのだけど、その時は随分と憔悴したものだった。会えなくなるとその時もっと自覚しておけばそのダメージも幾分和らいだのかもしれないけれど、自分という人間はいつも後になって気づく。戸惑いこそが人生だよと黄猿は言っていたけど、後悔こそが俺の人生なのかもしれない。この歳になると、高校最後とか、そういった節目みたいのはもうほとんど存在しない。でもたとえば、この歳でこの花火を見るのはいつだって最後なわけだ。昔の人は言いました。今日という日は二度と来ない。その通り。かなり頑張れば、毎日その感慨を胸に生きることだってできるかもしれない。まあそんなこと思っているヒマなんてないし、なんなら日中働いている時は、早く終わらないかなあと思う。そして、家に帰って、明日が来なければいいのにと思う。休みの日はずるずると過ごして夜になると必死の抵抗をみせる。嗚呼人生だなあ。今日もなかなかつまらない文章をコチコチ打ってしまったのだけど、特にこの内容になにか秘めたる意思があるわけではない。ただ単純に、新しいキーボードでいろいろ打ってみたかっただけだ。打ち心地ほんといいなこれ!最高だよ。37000円払った甲斐があるってもんよ。いや、俺もなんでこんなに高い買い物しちゃったのかわからないよ。なんで?え?まったく覚えてないよ。でもたった一つ言えることがあります。買ってよかった。macの入力方法がちょっとうまく馴染めないこともあるけれど、そんなんどうだっていいから冬のせいにして打ちまくろう。いやはや、秋ってどこいっちゃったんだろうね。出だしで亜希ちゃんが死んで、そこから回想に入って、亜希ちゃんとの春の思い出、夏の思い出、秋の思い出、冬の思い出、と2,3周して、ある夏に亜希ちゃんが死んで、そしたらすぐに冬が訪れる映画だれか作ってくれませんか?でも決して作中で、亜希が死んでから秋がなくなったとか野暮なことは言わないでほしいです。それだけが俺からの願い。
盗まれた判断力
どうしてこうなってしまったのか。今となってはそれを探し出すのは不可能に近い。クロノクロスのオープニングムービーってたぶん今までで一番見たオープニングムービーかもしれない。他によく見たオープニングといえばやはりワイルドアームズアドヴァンスドサードとアンリミテッドサガ。というわけで家に帰ってきたのがだいたい22時半を過ぎていたと思うんだけど、今日手に入れたiPhone16proへの移行を始めてしまい、残り時間3時間と出てしまってからもう途方に暮れてしまったわけだ。ここでさっさと寝てしまう胆力がほしいわけだけど、どうしても、移行が終わった後目覚ましが機能しないのではないかと思って寝ることができない。めっちゃ眠い。最近もっぱら判断力の低下が著しい。そのおかげでmac miniとiphone16proとリアルフォースのキーボードを買ってしまった。恐ろしい。下手したら引っ越し費用に匹敵するであろう額。それをほとんどノータイムで購入してしまった。迷う余地なし。mac miniとiPhoneは思いついたその日にアップルに電話して買ったし、キーボードは今日の電車の中で「mac キーボード」でyoutubeで検索して出てきたものをすぐにポチった。頭がゆるゆるになっている。これはもうきっと仕事の余波に他ならない。探し出すのは不可能なんて言ったの誰だよ。原因は明らか。疲れているんだ。でもそれもまた人生だよね。普段ならスマホの保護シールとかケースとかもわりと検索して悩むんだけど、これも昨日なんとなく出てきたやつを即購入して今日届いた。スマホの画面を覗くと、残り時間:2時間と出ている。今はhpのノートPCでこれを書いているけども、明日キーボードが届いたらもうこれからはmac miniで更新するだろうし、これでこのノートPCともさようならなのかと思うと感慨深い…かというとそうでもない。そんな気持ちも特に湧いてこない。お、残り時間約1時間となったぞ。もう0時49分である。はじまりは、何だったのだろう?運命の歯車は、いつまわりだしたのか?時の流れのはるかな底からその答えをひろいあげるのは、今となっては不可能にちかい……というクロノクロスOPムービーの文章がなんとなく好きだ。だが、たしかにあの頃わたしたちは、おおくのものを愛し、 おおくのものを憎み……何かを傷つけ、何かに傷つけられ……それでも、風のように駈けていた 青空に、笑い声を響かせながら……と文章は続いている。良い。文章自体の良さというよりは全力で雰囲気が良い。俺の人生に何かしら関係があって感銘をうけるかというと、そういうのは全くない。おおくのものを憎みはすれども、おおくのものを愛したことなんてないし。でもなんというか、架空の世界の架空の人物が思いを馳せている様子が自分の心を打つ。グッとくるってやつだ。クロノトリガーでは滅ぶはずの未来を救う話だったのに対して、クロノクロスではそうして救われた未来がある一方で選ばれなかった未来が復讐に来るというのが、なんとも面白い。あれ、そういう話だったっけ?思い出と記憶が書き換わっている?記憶というのは書き変わるものだ。こんなにも支離滅裂な文章を書きつけるなら、本でも読んでまったりすごせばいいのに。クロノクロスがめちゃくちゃ好きなんだけど、めちゃくちゃ好きなキャラクターがいるかというとそうでもない。嫌いでもないんだけど。なんかもう、全体的に好き。アルティマニアはそこかしこのノリが剥がれるくらいページをめくった。青い空と青い海。アルニ村やガルドーブ。自分が死んだはずの世界。いいなあ。もっかいやりたいなあ。お、残り1分だ。
というわけで更新終わり。ここからは新しいスマホで書いている。終わり。移行に時間はかかったけど、アプリとかもそのままだしパスワードなども再入力の必要無しで快適だなあ。前のスマホに変えた時にもこれ思ったことだけど、あと何回かは思いそう。昔はケータイの移行っていろいろあったから。
おかえりって言いたい
帰り道、自販機でペプシを買った。500ml120円。この自販機、ちょっと前までは100円で売ってたのになあともう二度と戻れない過去に執着しながら小銭を入れる。100円玉を持っていなかったので、500円玉と10円玉2枚を投入してペプシのボタンを押す。最近手が思うように動かなくて、小銭を投入するのにも少し時間がかかる。ガシャンと音を立てて落ちてくるペプシの音と同時にルーレット的なものが周り始める。数字が4つ揃うともう一本もらえるやつだ。ルーレットが回っている音ともに、お釣りが出てくる。100円玉が四つ。お釣りが出終わるころにルーレットが終わる。今日は残業頑張ったし、さすがに当たりだろう。確信に満ちた眼差しで並んだ数字を見る。5556。ふざけるなよ自販機。頑張った俺に労いのもう一本は無いのか?すぐに癇癪を起すのは俺の悪い癖。でも何処かの誰かが言った。「私の機嫌は私がとるの」その通りだ。勝手に癇癪を起してはなんの得も無い。俺が俺の機嫌を勝手に損ねてどうする。単純に買ったペプシを風呂上りに飲んでスカッとするだけでいい。でもこういう言葉って、他人が言う言葉じゃない。機嫌悪い人に向かって、「君の機嫌は君がとるんだよ」そんなのはただの煽りだ。自分で思うから活きてくる。そういう言葉ってわりとある。客側が「お客様は神様」と言うのはゴミだし、「周りの人も大変なんだから自分も頑張らなきゃ」と他人に言われると「は?」となる。自分から自分への奮起の意気込みなのだ。
家に帰ってきて荷物を置き、シャワーを浴びる。一度座ると根っこが生えてもうダメになっちゃうから、一度も座らずに風呂場へ直行するのがコツだ。風呂に入らずにグダグダして寝ちゃうことなんてザラだけど(汚い)、夜に入っておくのが吉。今日も大吉だ。風呂から出て髪を乾かすのもそこそこに、冷蔵庫からさっき買ったペプシを取り出してぐびりと飲む。ついでにヨーグルトも食べる。はあ、と一息つく。
昨日は寝る前に白湯を飲もうと思ったけれども、なんとなく気分が乗らなかったのでそのまま寝た。例の如く朝まで熟睡することができず、中断される睡眠にイライラしながらも頑張って目を閉じた。たまに見る友達の夢を見た。その友達は同じ高校の友達で、卒業してから数年後に脳死状態になった。彼は高校卒業後専門学校に進み、俺は浪人した。彼が専門学校を卒業して就職するころ、俺は学生になった。その頃彼に会って、居酒屋に入った。「給料もらったから」なんて言って笑って奢ってくれた。遠慮を知らない俺は、お礼もそこそこに「また飲もうぜ~」なんて言って別れたと思う。思えば給料をもらい働いている彼は全然苦労している様子も見せずに楽しく一緒に酒を飲んでくれた。俺だったらいっぱい愚痴っていただろうなあなんて、数年後就職してから思い返したのを覚えている。一緒に飲んでから間もなく、彼は頭の血管の手術が失敗して脳死状態になった。当時はスマホなんてなくて、ガラケーでブログを書いたりしていたんだけど、彼もそういうのを書いていた。手術の前の日に、失敗したらこれが最後だなw なんて書いていた。彼に会ってまた飲みたい。そういう思いからか、彼はよく夢に出てくる。昨日見た夢では俺たちは高校生だった。教室に彼はいない。その夢の中では、彼はすでに体が動かない状態になっていて、学校にはもう来ることができなかった。彼と同じ中学出身の仲の良い友達に彼のことを聞く。俺はどこからか、彼が復活した噂を聞いていたのだ。「あいつ、治ったんだって?」俺がそう質問すると、「そうそう、昨日杖をついて歩いていたらしいよ」とそいつは答えた。胸が喜びで満ちる。「マジかよ!早く会いたいな!」そこで夢が終わる。起きてすぐにはがっかりしない。彼が杖をついていたという事実の方が俺の中にくっきり残っている。それからしばらくして、ああ、あれは夢だったんだとなる。そういう夢を何度も見る。時には復活した彼と会う。「お前が寝てる間にいろんなことが会ったよ。ニコニコ動画っていうのがあってさ…」という夢を見たのも随分前のことなのに未だに覚えている。動けなくなった彼に一度だけ会いに行ったことがある。完璧に意識がない彼を前に俺はだいぶ打ちのめされた。ちょっとくらい、瞼がぴくっとするくらいするだろ、なんて若い俺は思っていた。管を繋がれて、完璧に意識がない。少し髭が伸びていた。控えめに言ってショックを受けた。彼のお母さんとは連絡を取っていたのだけど、彼のケータイを解約しますという連絡を受けてから途絶えさせてしまった。彼はもう管を外されてしまったのだろうか。それともまだ病室で横になっているのだろうか。頻繁に考える。