To Far Away Times

間接的自己紹介

セルフバーニング

人にされたら嫌なことは、人にしない。そうやって育てられた。人の気持ちを考えよう。そうやって育てられた。つまり、自分のことも人のことも理解して、行動しよう。そういうことだ。もちろんそんなのは真の意味で理想論である。他人はおろか自分のことすら分かった気でいるしかないのに。でも、人にされたら嫌なことは人にはしない、というのはわりと安定行動(非行動?)と言える。例えば俺は、人に知ったかぶりされるのが嫌だから、知ったかぶりはしない。こういうことをされたら嫌に思うかもな、というのは枝分かれする思考の中にあって差し支えない。実際に配慮するかどうかはさておき、選択肢のひとつとして。

自分の良くない傾向の1つとして、そこに見返りを求めていることに最近気がついた。人にされたら嫌なことはしないのはもちろんだが、人にして欲しいことを人にするようになってしまっている自分に気がついた。これは非常に良くない。

相手に優しくされたいから、相手に優しくしているのかもしれない、と気づいた時、ゾッとせずにはいられなかった。利己的にもほどがある。なかなかおぞましい。あるいは知ったかぶりをして欲しくないから、知ったかぶりをしないのかもしれない。

何故そういう思考回路に至っているのだろうか。例えば報告をしてほしいから、報告をするとする。そんなことせずに、報告して欲しいと言えばいいのに。何故か。

言わなくてもわかって欲しい。これに尽きるのだろう。気持ち悪いけど。そのわがままな気持ちが全ての根幹にあるのだろう。そうして、して欲しいと言ってもいないのに、してくれなかったら拗ねているのである。ガキかよ。

言ったら嫌われてしまうかもしれないという自己中心的な気持ちから、言わないでいる。行動で示していると言えば聞こえは良いが、自分が嫌な思いをしない為に選択した行動に過ぎない。そもそも相手が俺ごときの言動を見て、こう動いたらいいんだ、なんて思うわけが無い。まず俺の言動なんて見てすらいないんだから。

こうしてネガティブに考えを進めていくのは俺の得意とするところだけど、ここで終わってしまうと良くない。やはりどうすればいいかを捻り出して置くべきである。いや、そんなの捻り出すまでもなく簡単なことだ。言えばいい。ただそれだけのことである。して欲しいことは、言えばいいのである。言ってダメだったら、そこから考えよう。考えても無理ならもうダメだ。諦めよう。言ってもダメかなあ、じゃない。まずは言わないと。して欲しいこと、不満、不安は、言わないと。まず。