To Far Away Times

間接的自己紹介

ふとまゆ

いつだったか、年末年始の特別感が気に食わなかった時期がある。10月から11月へと変わっていくのと12月から1月へと変わることの何が違うのかと。年末年始の休みが無い自分に言い聞かせる為だったのかもしれない。車にお飾りをしたり、玄関に賀正のやつを貼ったりする家が少なくなったとはいえ、年末年始感はいやがおうにも感じてしまう。自分の力では抗いきれないなにかがそこには存在するのだ。そして何より、その雰囲気が好きな自分がいるのである。

さて、この年末にわりに感慨深いことがあったので書いておく。新卒で入ったとき、面接で俺は「教え子が大きくなったらいつか一緒に飲みたい」と言った。そしてそれがようやく叶ったのである。俺が新卒の頃に教えた奴らが今、新卒になった。そのうちの一人から飲みませんかと連絡がきたのだ。俺もいろいろあって随分くたびれてしまっていたけど、最近は気持ちもなんとか落ち着いてきたし、飲みに行くことにした。彼らが成人したころはまだ立ち直っていなかったので、一度誘われたが何の理由だったか忘れたが断ってしまっていた。また誘ってくれたことに感謝の意を示さずにはいられない。その中の一人が当時の俺の職業と同じ職に就いていたのが驚きだった。当時の俺はそんなに楽しそうに見えたのだろうか。疲弊に疲弊を重ねて全て失うまでになったのに。当時新卒だったんだよ俺はという話をすると、みんな驚いていた。バイトの頃から似たようなことをやっていて慣れていたのもあったけど、したり顔で堂々とやっていたのがよかったのかもしれない。あるものは公職に就き、あるものは俺のようなヤクザな仕事につき、あるものは大学院生。みんなそれぞれ違った道を歩んでいる。当時は同じ中学生という枠組みの中にいた彼らも今や立派な(俺以上に立派な)社会人になっているのである。これはもう時が経てば当たり前に訪れることだが、なんとも言葉に表すには難しい感情が起こる。一言でいえば、感動、ということになるだろう。

年末年始はこれといって忙しかったわけではないが、精神的余裕があまりなく、年賀状を出せなかった。(今日ようやく出した)もはや寒中見舞いに変わる時期だが年賀状自体は買っていたのでそれを使っていくスタイルは実に無駄がないと言えるだろう。しかし余裕がなかったという言い訳は通じないのではないか。なぜなら年賀状の準備は年末ギリギリに行うものではないからだ。11月末から12月の頭あたりでやっておけばよかったのだ。ということでなんにせよ自分の怠惰が招いた結果なのである。こんな怠惰な人間と付き合ってくれている方々に畏敬の念を抱かずにはいられない。

新しい一年が始まったわけだけど、とくにこれといって変化もなし。しかし変化していくかもしれない。そんな一年にしたい。