To Far Away Times

間接的自己紹介

セロリ

最近iPadを買った。何に使うという目的も無く買ってみたわけだけど、とても使い勝手がいい。スマホはずっとiPhoneを使っているので、その連携みたいなのがスムーズにできるのが使い勝手の良さを助長しているのではないかと思う。同時にアップルペンなるものも買ったので、そのうち絵を描くアプリでも入れてみようかと思う。そして今、新しく買った有線キーボードを新しく買ったLightningUSB変換アダプタに繋ぎ、それをiPadに接続してこれを書いている。iPadは新しく買ったタブレットスタンドに設置している。久々にこんなに色々と新しいものを買ったなあと感じている次第である。しかしこの新しく買ったキーボードだが、いわゆる茶軸というものである。茶軸だの青軸だの赤軸だのがあるらしい。押し心地が異なるようだ。青軸は押しごたえがあり、赤軸はその逆。茶軸はその中間くらいとのことだった。他にもいろんなレインボー軸がある。俺はその中から茶軸を選んだ。それをこうして使っているわけだが、どうも俺の思っていた押し心地とはずいぶん違うみたいだ。そうとう軽い。これなら青軸にしておけばよかったかなあと思う。しかしこの打鍵音?もなかなか好みの音なので、とくにクーリングオフ的なことはせずに使い倒すつもりだ。ちなみにまったく意味のない機能?として、このキーボードは光る。光り方や色味などいろんなパターンがある。一度使ってみたかったんだけど、これは本当にまったく意味がない。なぜなら打っている最中はキーボードをほとんど見ないからだ。光ってもいいけど、次に選ぶときはそれは優先度1番下でいいかな、と勉強になった。

ほらね。ここまで書いてみてやっぱりなと思ったよ。俺が何を買ったとか、どこに行ったとか、そういうのって本当につまんないんだ。どうしてなんだろう。たぶん思ったことを書かずに事実だけを述べているからだ。この上に書いた文章に、いろいろと思ったことを書き足していけばまだマシになるかもしれない。しかしそんなのめんどくさいし、勢いで書いた上の文章が素でもあるので、このままにしておく。

さて、俺はなかなか根に持つタイプの人間であるのだけど、最近根に持った発言がこちら「小説読むのって根暗がやることでしょ」である。これを聞いた時、俺としてはかなり驚いた。狼狽たと言ってもいい。まあ人にはいろんな価値観があるから、そういう人がいたって別に良いし、俺は俺の価値観として「そういうことを言う奴はゴミクズ」と思っているのでとくに問題は無い。思うのは自由だ。しかしそれを、小説を読む人間に対して言っているその人の価値観というか、品性というのはにわかに信じられない。思うのはわかるが当人にそれを言うのは、思っていることを伝えるということは、ちょっと想像力があればその後相手がどう思うかなんてことはなんとなくわかるはずである。なんかこうして書いていたらふつふつと憤りを感じてきたぞ。うーむ。でもこういう負の感情を書きっぱなしにするのはよくない。なぜなら残るから。見返して再度嫌な気持ちになるから。だから、この経験から自分にとってなにかプラスになるものを見つけなくてはならない。そしてそこで一応の決着をみて、思考回路の最後にポジティブさを持ってこなくてはならない。ではそのポジティブさとはどんなものだろう。そんなのわかりきっていることだ。その人が自らその発言をしたことで、俺はその人に2度と心を開かずに済むこと。その人と会話をする時は1ミリも心をこめなくても良いということ。右から左へ流し、てきとうにあしらうだけでよい。これでもう相手の発言は二度と俺の心には届かないので、従って嫌な思いをしなくて済むようになる。そしてなによりも、相手の気持ちを考えて発言しよう、ということを再認識させてくれた。ありがたいね。それが会話というものだということだね。至極当たり前のことだ。至極当たり前のことでも、反芻して体に染み込ませなくてはならない。相手に不快な思いをさせることを楽しむ人はこの世に存在することは間違い無いが、自分はそうはなりたくないと常々思っているのであった。