To Far Away Times

間接的自己紹介

軽くなった日

体がだいぶなまってきたと日々実感して、リングフィットの導入を真剣に考え続ける毎日。でもまあそれも誕生日からでいいかなんて先延ばしにしている昨今である。年々、自分の中に占める健康面体調面に気を遣う度合いが増していっている。学生になると体育がなくなり(自分は体育を選択しなかった)、その時点で既に小中高と当たり前に受けていた体育の重要性には気づいていたが、それから十余年、その重要性を肌身に感じながらも対処しようとしない自分の怠惰さには呆れるばかりである。

『人には、「言わなくてもいいこと」というものがある』

自分の中にはいろんな考えがあって、「言うべきこと」「言ったほうがいいこと」「言ってもいいこと」「言わなくてもいいこと」「言ってはいけないこと」などが混ざり合っている。最近とても自分の肉となったのは、「言わなくてもいいこと」である。どういった流れだったか忘れたけど、ある時友人のひとりが何気なく言った「言わなくてもいいことってあるよね」みたいな発言に、ハッと気づかされたのである。それ以降、自分が何かを言おうとする時(特にネガティブな発言の時)、「あ、これは言わなくてもいいことかもな、言うのやめておこう」と思えるようになった。ネガティブな発言を「言ってはいけない」と思うと、なんだか言いたい気持ちになってしまうのだが、「言わなくてもいい」と思うと、まあいいかと適当に横に置いておけるようになったのだ。これはかなり自分にとってプラスに作用しているように思う。余計な不快感を与えずに済む。余計じゃない不快感があるのかは謎だが。

 

ずいぶん前から、仲の良い人たちへの「言わなくてもいいこと」を抱えてきた結果、勝手にそれを隠しているような気がしていた。引け目みたいなものをずっと背負い込んでいた。ずぅーっとそういう思いを抱えてきた。気兼ねなくいろんなことを言える人たちなのに、自分がそれを言わないことで、何か隠しごとをしているような、わけのわからない毒が自分を侵食していた。最近友人が言った「言わなくてもいいってことがあるよね」と言う発言も、その毒には効力を持たなかった。毎日毎日、冗談ではなく毎日、「言ったほうがいいかなあ、でも言わなくてもいいことだよなあ、言ったら嫌われるかなあ」などと堂々巡りに次ぐ堂々巡りを繰り広げていた。数年間そんなことを思い続けてきて、とうとうその堂々巡りの毒を吐き出す気持ちになった。「もう嫌われてもいいか、こうやって悶々と堂々巡りを繰り返す方が毒だ」と思ったのだ。そんなこんなで今日、意を決してその人たちに毒を吐いてみると、口から出た瞬間それはもう毒ではなくなっていた。体の中にいるうちは毒なのだが、外に出てみると途端に毒でもなんでもないものになるらしい。そして自分勝手に自分は解毒された気になったのだ。本当にそれは毒だったのか?そこまで思えるのもたぶん、受け取る側の大きさにもかなり依存することなのかもしれない。感謝の念に絶えない。

リングフィットを使わずとも、体は軽くなった。