To Far Away Times

間接的自己紹介

命令の令じゃん

いつかは慣れるのだろうか。令和の令。命令の令じゃん。指令とか号令とか伝令とか辞令とか、そういう感じの上から下にって感じの。令という時にはこれこれこういう意味があって…と元号が変わる時にテレビで言ってたけど、もう忘れた。だって命令の令じゃん。和はわかる。日本ぽいノリ。あとはなごやか。仲良しな感じ。あと昭和と被ってる。まぁ元号なんて被ってなんぼみたいなところあるからね。

つまり俺は令和と聞いて、命令されても従順に仲良くしろよ、文句ひとつ言わずに動けよというメッセージを受け取ったのだ。考えすぎである。考えすぎなのはいつものことなのでどうでもいいが、当時のテレビ番組で、命令の令じゃんと突っ込む人がいなかったのが不思議でしょうがない。だって命令の令じゃん。でも俺も全てのテレビ番組を見ているわけではないから、きっとそう言った人もいたのだろうと思いたい気持ちを秘めつついかがお過ごしでしょうか。

というわけで、「好きの反対は無関心」派の皆さんにとっての嫌いの反対はなんなのか聞きたい昨今。たぶん「好きの反対は無関心」というのは、言い出しっぺの言ったことが微妙に変えられて伝えられたとのなのかなと思う。俺がそういった話を聞いた当初は、「嫌い」というのは相手に対して思うこと、考えることだから、嫌いな相手にわざわざそんな労力をかけるなら無関心でいた方が気持ち的に楽だよ、的なやつだった。嫌いな気持ちを持ってるくらいならそんなんどうだっていいから無関心になった方が楽だよ、と。「好きの反対は嫌い」だが、「好きはいいけど、嫌いは無関心の方が楽だよ」、つまり、やや乱暴だが「好きの反対は無関心が楽だよ」ということだ。それがいつのまにか「好きの反対は無関心」とまとめられている気がする。対義語として示すことによって端的に表した方がインパクトがあるが、それだと「じゃあ嫌いの反対はなんなのよ」ということになる。もともとの言い分は対義語とはなんら関係ないのである。でもまあ俺としては別にそれを正したいわけではない。ただ、そう言う人にとっての「嫌いの反対」を知りたいだけなのだ。だってその理論でいくと嫌いの反対も無関心になるでしょう。

嫌いというのは、相手に対するマイナスな気持ち。その反対というと、自分に対するプラスな気持ち。つまり自画自賛である。自己肯定。ということで、「好きの反対は無関心」派の方々、今後「嫌いの反対は自己肯定」と決まりました。あれ、でもそうすると、好きというのは相手に対するプラスの気持ちだから、その反対は自分に対するマイナスの気持ち。つまり、「好きの反対は自己嫌悪」ということになるので第三勢力の誕生です。逆裏対偶面白いね。