To Far Away Times

間接的自己紹介

神とアンドロイド

最近、神ばっかり出てくるゲームとアンドロイドばっかり出てくるゲームをやった。一応どちらもスタッフロール流れるところまではやった。ひとまず終わったと言っていい感じ。両者とも底知れぬ良いゲームだった。やってる間、終わってほしくねえなあとずっと思っていた。でも引き込まれるからやってしまう。終わりを迎えてみると、半端ない余韻に包まれて、いろんな感情が湧いては消えていく。その気持ちを繋ぎとめておきたいけど、次から次へといろんな思いがよぎる。良いゲームつくるねえ!

神ゲーの方は、子どもと一緒に旅をするってやつだからかラストオブアスのようなお互いの気持ちの変化みたいなものが良い。ラスアスもそうだけど、もうこの歳になると父親サイドの視点でみてしまう。主人公が父親ってのも大きいと思うけど。わかりやすいストーリーにわかりやすい操作。でも面白いってところがすごい。程よく強い敵といるし、倒せてない奴もまだいるけど、なにこの満足感。

アンドロイドゲーの方は、進めていくうちにいろんな分岐があって人それぞれストーリーが違うのが良い。自分でプレイしたからこそ味わえるものがあるって感じ。自分で選択したものが全プレイヤーの何%が選んだものかかって出るのも興味深い。俺の見たラストは全プレイヤーの1%だったようだけど、自分で進めていく中でそれはもはや必然とも言っていい感じで行き着いたところなので、なんの違和感も無い。けっしてハッピーエンドとは言えないけれど、満たされた感じ。

ビヨンドもそうだけど、いろんな分岐があるゲームだから色々見たくなってコンプしようと思えば全然できるんだけど、一度目のプレイが強烈過ぎて二度目ができない。でも思い出にずっと残る。人生って、そういうことだよね。

どちらのゲームも人間じゃないものを描く事によって、人間の真実みたいなものを映し出している気がする。フィクションって、だいたいそういうものよね。物語の多くは実際に起こっていない事や実際にいない人の話なのに、そこには生々しくリアルなものがある。心の芯をとらえて離さない。共感を呼ぶ。新たな発見をして一段成長した気持ちになれる。凡庸な人が描いたものだと、いやそんなのありえねえしで一蹴されてしまうけれど。そこが作り手のすごいところ。虚構を並べることによって真実を映し出す。矛盾しているようだけどまさにその通り。そんな素晴らしい世界を、下らないと言って十把一絡げに否定するような人間にゃなりたくないもんだね。