To Far Away Times

間接的自己紹介

前置きがクソ

さて久しぶりになにか書いてみようと思って(ここのところはいつも久しぶりだ)、なにかストックはないかと下書きを見てみたが、例によってほとんど意味のわからない下書きばかりで困った。

例えば一番新しい下書きには、本文に「面接」とだけ書いてある。タイトルは無い。きっといつだったかの自分は、面接について思うことがあったのだろう。そしてそれをこのブログに書こうと、とりあえず「面接」とだけ書いたのだ。そこまでは容易に想像できる。でもそこから先は全く想像もつかない。まあでも別にそんなのなんでもいいかと思う昨今いかがお過ごしでしょうか(自問)。自分はというと(自答)、あまり物足りなさも感じずに、なんとなく過ごしている。(終わり)

けっこう前のことだけど、たしかチョベリバとかが流行った頃だったと思うんだけど(その後だったかなあ)、女子中高生などのナウでヤングなバリバリの子たちが「ハタチになったらババア」みたいに言う時期があった。今はそういう風潮はないと思うんだけど、当時はメディアでそんな感じの意見がわりと取り上げていた気がする。アレっていったいどういう意図があったんだろうかと今となって思う。クソ若い小娘が数年後自分にもやってくるであろう年齢を馬鹿にしている。まったくもって不思議な誘導だったなあと思う。コギャルというか、若い女の子が取り沙汰されていた。モー娘。の新メンバーもどんどん若くなっていった気がする。

今は若さというのが大きな長所?アドバンテージ?という風潮がなくなってきているように思う。若いから留保なしで良い、というような。でもそれは俺がその若いといわれる世代ではなくなったからなのかもしれない。俺個人からすると、若いというのは体が健康であるということ以外に特に羨ましく思わない。いやでも健康って大きなアドバンテージだな。だいぶでかい。健康になりたいね。

健康である為には運動と食事を気をつけるだけでもだいぶ違う。だけでも、というかそれ以外に何かある?って感じだ。ここ最近は運動もしていないし、甘い飲み物もどんどん飲んでしまっている。マズイ。でも暑いからね。仕方ないよね。そうやって妥協に生きる昨今なのであった。

妥協とは少し違うけれど、やりたいことが沢山ある(ここに何かを書く、小説やマンガを読む、映画を観るなど)んだけど、いつも家に帰ると同じゲームをつけてやってしまう。たぶんそれが一番楽だからだ。上に挙げた他のことは、なぜか少しだけ手をつけるのに躊躇ってしまう。でもそれらをやりたくないというわけではないし、そのゲームが一番やりたいことかというと、そういうわけでもない。というか、一番というものは無く、どれもやりたいことという同じラインにあるはずなのに、一番楽に始められるものをやってしまう。なにせ始めるのが楽なのだ。これをここ最近は是正していきたいと感じでいる所存である。やりたいことをやるには、それなりに力が必要のようだ。