To Far Away Times

間接的自己紹介

冪should

カゼ薬つくれたらノーベル賞モノだよ?!という文言には些か食傷気味である。初耳の方へ簡単に説明すると、風邪の原因であるウイルスそのものを撃退する薬は発明されておらず、現在世に出ているのはその症状を緩和するものに過ぎないということである。だからそのウイルスに対する特効薬を作ったらすげーということのようだ。

なんというか、ドヤ顔で説明されても、それ知ってるし…何度もいろんな人から聞いてるし…わりと昔から言われてることじゃね…となるのである。しかし話している方はそんなこと知ったことではないので、そんな俺の経験なんてものともせずドヤってくるわけだ。俺は俺で、んふふ、そんなこと存じ上げておりますがなと流すことはできるし、実際流すわけだけど(たまに、ヘェェー!!そうなのー!と驚く時もある)、流した後で不思議なしこりが残る昨今、皆様いかがお過ごしでしょうか。

そういう噛み合わないところ、あると思います。でもそれが生きるってことなのかもしれないね。お互い折り合いをつけていかないといけない。多くの物事ってのはそういうものなのかもしれないね。ぴったりハマることなんてそうそうないもの。歯車じゃないんだから。粘土のように形を変化させてうまく隙間を埋め合うのも難しいよ。俺たちにできることは、その隙間自体を理解することなのかもしれない。そんな昨今、いかがお過ごしでしょうか。

俺はと言いますと、そんな隙間に悩まされておる。どうも最近多いなと感じるのは、俺のせいにされる率高くない?、ということだ。例えば何かミスが露呈したとする。誰がやったんだこのミスは。犯人探しが始まる。すると、自然と俺に目が向く。なにせ日頃の行いが悪いのである。日頃の行いについてはひとまず横に置いておいて、だいたいの場合そのミスは俺のせいだと仮定される。そして疑いの目どころか、もう俺だと決めつけて注意してくる。こういう原因でミスが起きたよね、ちゃんとこうしてって言ったよね?みたいなね。相手は事の流れを辿りながら注意してくるわけだけど、だんだんとそれが俺のせいではなく、俺に注意しているその人自身のせいで起こったことがわかってくる。話している本人も気づいてくる。だいたいこのパターン。割と多い。週に2回くらいはある。

その人が決めたルールを俺は守り、その人が破る。自己中心的な考えかもしれないけど、大変不快である。でももしかして、俺もけっこうそういうことするゴミクズ人間なのかもしれない。人のふり見て我がふり直せとはよく言ったものだけど、気をつけようと思う。

フェルマーの最終定理が長年の時を経てアンドリューワイルズによって証明されたように、風邪薬だってきっと発明されるに違いない。フェルマーの最終定理が証明されたのって95年らしい。え、23年前?まだ証明されてないって俺が聞いたの18〜20年前だった気がするんだけど。

そういう隙間も、あるかもしれないよね。