To Far Away Times

間接的自己紹介

クソくらえ

ツギハギ漂流作家』という俺の読んだことの無いマンガの主人公が「何が嫌いかより何が好きかで自分を語れよ!!!」と言っているように、俺もなるべくネットでは否定的な意見を書かないようにしている。それは、ただ単にその方が人としてイケてるから、というよりは不特定の読んだ人をなるべく不愉快な気分にさせない方がいいんじゃないのかしら、という外面ばかりを気にしているからかもしれない。対面に弱いのである。よく知っている人なら話していいことと悪いことの区別はつくが、こういう所ではそうもいかない。だんだん自分に腹が立ってきた。なにをそんなに気にしているんだ。気弱か。では、だいたいにおいて普段は殆ど否定的な考えをしている俺(修飾部が長すぎ(なら直せ(直さない(あえてね))))は、こういうところに書く場合は自分を偽っているのかというと、そういうわけではない。自分が思っていることを選り分けているだけで、どこか別の、自分の外から引っ張ってきているわけではない。ネガティブな自分でもなるべくネガティブなことは書かないように努めているだけだ。たまに、いやよく書いてるけど。特に自分に対してのネガティブなことは。でもたまには溢れちゃうよね。仕方ないよ。だもの。そんなわけで今回は割と溢れちゃうわけだけど、もしかしたら堤防は決壊して街や人々を飲み込み、後にはなんにも残らないかもしれない。そんな覚悟を持って言うと、俺は自己啓発本の類が大っ嫌いだ。そういった本から手に入れたものでもし自分が変わるとしたら、そんなに気持ち悪いことはない。俺は俺の実際に体験したことで俺をかたちづくりたい。自己啓発本を読むことだって自分の体験のひとつという見方もあるかもしれないが、それは俺の中では体験とは思えない。だいたいそんな本(人を変えようとする本)で変わるなんて吐き気すらする。でもあれかなー、自己啓発本書いてる人はすんごく伝えたいのかなー。オレこんな発見しちゃったよ、こうすると自己研鑽に磨きがかかるよやべー高まるわーこれ他の人にも教えてあげたらみんな幸せになるじゃんやべー。みたいな。純粋な善意から執筆しているのかもしれない。完全に余計なお世話である。そういう発見をしたのは(もちろんそんな発見していない口だけのカスもいる)すごいことだけど、それはそれ相応の経験があったからに違いない。そしてそれは本を読んだだけでは得られなかったもののはずだ。それを本を読ませて経験させようとしている。やめてくれよホント。反吐が出る。ひとつ予防線を張っておくと、俺はそんな自己啓発本を読んでいる人々を貶めているわけではない。そういう人たちは必死に何か変えたいと思っているんだろう。藁にもすがる思いでその方法を探しているのかもしれない。俺だって自分を変えたい。俺はただただ、そういう本自体が嫌いなのだ。なんだか傲慢さみたいなのを勝手に感じとってしまうからなのかも。宗教の勧誘に似てるのかもしれない。昔誰かから、人と話すときは宗教と政治と野球の話は慎重に、と聞いたことがあるので止めようと思ったけどまあいっか。俺は、宗教自体別に善悪は無いと思うし、それを信仰するのも自由だと思っている。ただ無理矢理勧誘することが許せないのだ。彼らは純粋な善意から他人を勧誘している。悪気が無いのが純粋の悪とは上手いこと言ったものだよ。怖い怖い。……俺は何と戦っているんだ。なんで嫌いなものについてこんなに書いてんの。そんな本読まなけりゃいいじゃん。でもまぁ、日々こうした目に見えない何かと戦うのが俺の趣味であるらしいので仕方ないか。こうして批判している俺だけど、自己啓発本を何冊か読んだことはある。まぁ読んだから否定的な意見を持っているわけだけど。ここまで書いて下書きとして何日か放置していて、今読み返してみたんだけど、なんかもう書いたことで満足している気がする。わざわざ表に出さなくていいような気がしてきた。でもまあこれもなにかの縁ということでここに記すわけである。自己啓発本、なにかいいのないかな。探してみようかな。あえてね。逃げる力って本読もうかな。でもわかるんだよな俺には。その本に書いてあるのは、「逃げるのが大事だよ」ってことだって。逃げるが勝ち、みたいなことも書いてあるんだろう。でも読んでないのに批判するのってよくないと思うんだ。だから今度買って読んでみよう。