To Far Away Times

間接的自己紹介

セブンスヘブン

雨がパラパラ降ってきて、これくらいなら傘ささなくてもいいかと思い少し濡れながら歩いていたけど、せっかく傘を持っているなら使おうと思い直して傘をさした。そういうこと。ラストエリクサーばりに躊躇することはない。とは言ったものの、いつからかラストエリクサーを使うことにそこまでの躊躇を感じることは無くなっている昨今。今までの経験から、あの時使わなければよかったという記憶がないからかもしれない。

使わなければよかったといえば「キーファに種」だが、ちょっと前まで俺は大きな思い違いをしていた。それは、キーファに使った種はアイラに引き継がれるというものだ。キーファに種使って文句言っている奴ら、実はアイラに引き継がれてるんだぞ。と思っていた。しかしアホなのは俺の方だった。キーファに使った種は、無駄とは言わないまでも誰に引き継がれることもなく終わるようだ。

でも種のイチャモンについては離脱への文句の片鱗に過ぎないと思う。仲間の離脱に対して強い感情を抱くのは普通のことだが、別れ方が死などの避けがたいものではなかったことがその原因なのではと思う。彼は守りたい人を守るために仲間との離脱を決意した。死ぬのであれば悲しいけれど仕方がない、前に進もうと思える(もしくは進めなくなる)が、彼との別れはそうではない。話し合いの余地はなかったのか、あのあっさりした別れ方はなんだったのか、世界救うんじゃなかったのか、そう思ってしまう。主人公とキーファは知己であったので、余計な言葉を交わすことなく別れたのだと今になったらそう納得できるが、当時の子どもには不満の方がまさってしまったのではないか。俺もオトナになったのかなあ。ある種の諦観みたいなものでいろんなこと許容できるようになってきたと思う。どうしようもないことも、この世にはあるのだ。