To Far Away Times

間接的自己紹介

ヘヴンズドアー

天和通りの快男児を読んでから、(これは読んだ人なら通る道だと思うけど)自分の死に方を考えるようになった。それから毎日考えている。毎日というのは言い過ぎたかもしれないけど、考えない日の方が圧倒的に少ないのは間違いない。隙あらば死に方を考える。普通は考えながら生きているよね?生前葬もいいかもしれない。街中を歩いている時に、不意にスナイパーに頭をぶち抜かれるのもいいかもしれない。ハイロウズの即死の様な感じでお願いしたい。カラオケで歌いたい。あ!カラオケ行きたいな!

これは殆ど間違いないことだと思うんだけど、自分の残りの人生多く見積もってあと20年くらいな気がする。うちはジョースター家よろしく代々短命な一族なので、そんな予感がするのだ。そう考えると、とっくに折り返し地点を過ぎている。でもだからといって焦りは無い。もうやれることもないし、後は死ぬまで生きるだけのお金があれば良いやという感じだ。これから成し遂げたいこともない。やってみたいことも、まぁあるっちゃあるけどそれはまぁできなくても仕方ないし、諦めなくてはならない。

でも特に今すぐ死にたいというわけではない。むしろ死ぬのはめちゃくちゃ怖い。小4くらいの頃に死について考えちゃってからそれ以来めちゃくちゃ怖い。夜眠れなくなるなんて茶飯事。震えがくることもあるし、わ!と大きな声を出して振り払わなければならないこともある。みんなは死の恐怖に対してどう向き合っているんだろう。それともとりあえず横に置いておけてるんだろうか。もしくは全く考えたこともないのだろうか。

死に方を考える一方で死の恐怖心に囚われている。たぶんそんな状態に陥っている理由は、今の生き方に熱が無いからだ。ある人は言いました。もっと熱くなれよ。ぬるま湯に浸かって楽な生活をしている現状を突破して、苦しくとも熱のある生に身を置くべきだと最近思う。今、楽な仕事をして楽に生きている。前の仕事が半端なく辛かったから、これからは楽してもいいかと思っていたけど、そろそろ動いてもいい頃合いだ。そう考え始めてもう随分経つ。

そこで1つ行動を起こしてみた。どうなるかはわからないけれど、生きてから死んだ方がなんとなく良い気がするのだ。