To Far Away Times

間接的自己紹介

震えるぞハート

親父は晩年ほとんど寝たきりだったので、俺が実家に戻るとよく足のマッサージをさせられた。俺にとって親父は畏怖の対象だった。だから親父の指示に逆らうなんてことは毛頭考えることもなく、幾分めんどくさいなと思いながらマッサージを始めた。

親父の命令は絶対だった。何か(三ツ矢サイダー、競馬新聞、ピスタチオ……)買ってこいと言われたらすぐに買って行ったし、飲み屋まで迎えに来いと言われれば車を出した。

 

その日も介護用ベッドの上でうつ伏せになっている親父のふくらはぎを揉んでいると、ブラウン管のテレビでは『世界の車窓から』をやっていた。北欧だかどこかの国の列車の窓から、背の低い草が茂り、時折岩肌の見える山の風景が見えていた。俺はそのバックで流れる音楽に引き込まれた。マッサージの手を止めることはできなかったけど、周りの時間は止まってしまった気がした。雑音も聞こえなくなって、その曲だけが俺の意識に届いてきた。涙さえ出そうになった。もちろん涙なんて親父の前で見せるわけにはいかないから堪えたけれど。

 

マッサージが終わって自室に戻っても、それから何日か経っても、その音楽を聴いた余韻は残っていた。知らない音楽を聴いて、それをしばらく覚えているなんて自分にとっては初めての体験だった。

それがなんという歌だったのか気になったのも初めてだった。『世界の車窓から』のウェブサイトを見てみると、そこには放送に使われた場所や音楽の情報が載っていた。そこで、その曲が『You Raise Me Up』だということを知った。ケルティックウーマンがカバーしたものであるらしかった。わりとポピュラーな音楽ということだった。

 

それからその曲はずっと自分の中にあって、時々聴いている。心が洗われるというと大袈裟だけど、とても綺麗な音楽だ。